院長ブログ

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2021年7月2日

泌尿器科の手術の歴史について その3 膀胱切開までの長い道のり1

今回は泌尿器科手術の歴史シリーズの3として、前回の続きで膀胱の手術がその後どうなっていったかについて述べます。まずは現状として、膀胱の手術は開腹でも尿道からの内視鏡の手術でも現在は普通にできる、安全性の高い手術となっているというのが僕の認識です。ここに至るまでの話です。

前回のその2でヒポクラテスのお話でもした通り、ヒポクラテスは心臓、脳、脊髄、横隔膜、肝臓、膀胱の手術は致命的として、これらの手術を禁止していました。この考えは18世紀まで続いています。

では、そこまでの間、膀胱に石ができる膀胱結石の人たちはどうしていたかという話ですが、これらの方たちは会陰部(肛門と外陰部(男性では陰茎根、女性では腟口)およびその周辺)の切開にて手術をしていました。この手術方式は実は開腹よりかなり難しいというのが僕の認識です。当時は麻酔もなく、体を縛り付け動かないようにして手術をしていました。ちなみに紀元前の手術では切開道具もないため、爪にヤスリをかけて指で切開などをしていたとのことです・・・

16世紀になり尿道の形を下金属の棒(金属ブジーといいます)を作成し、これを使い膀胱までのルートがわかるようになり、手術自体は少し容易になりました。この際に金属の棒に角度を変えたり様々な工夫が加えられています。

続いて17世紀に入ります。このとき、パリで膀胱結石の手術を1時間に10人行うという石取り名人がいました。Jacquesという人です。しかし、この時期に治療を行った患者の死亡率が1ヶ月で54%になったことがありました。そのあまりに高い死亡率から、当時の医療長官がしばらくの間手術の禁止を言い渡したほどでした。死亡原因は会陰切開による動脈の損傷での失血死、子宮や腸管の損傷などでした。このため、彼は解剖を猛勉強し、死亡率を3.5%まで低下させることに成功しました。先の50%からすると相当下がりましたが、現在でこの手術で亡くなる方は僕自身の経験では一人も見たことがないので、当時は結石も命がけだったんだなと思います。

さて、では日本ではどうだったのでしょうか?日本では南蛮貿易のときにこの手技が入ってきています。この手術は世界で初めての全身麻酔を行った華岡青洲も関わっていました。

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